まち歩き企画第五弾 in三軒茶屋

こんかいの問い
三軒茶屋の独特な雰囲気の由来は?

こんかいのまちあるきは渋谷から東急田園都市線でわずか2駅、芸能人が多く住みお洒落なイメージと、下町のような雑多なイメージをあわせ持つ不思議なまち「三軒茶屋」です。東京大学駒場キャンパスに近く、メンバーの一人がかつて住んでいたこともあり訪れる機会の多かったこの街で、これまではあまり意識していなかった歴史を紐解きながら歩きます。

三軒の茶屋はどこにあったの?

「三軒茶屋」という名前がついているということは、茶屋が3軒あったはず。三軒茶屋交差点を起点にその場所を探します。周囲を見渡すと、大山道と書かれた道標が目に入ってきました。そう、三軒茶屋は現在の神奈川県伊勢原市にある大山阿夫利神社を目指す参詣客が通った古道「大山道」のうち江戸・赤坂から延びる「矢倉沢往還」の最初の宿場だったのです。この道の歴史は古く、律令時代には東海道の本道として機能していました。現在の世田谷通りが本道、玉川通り(国道246号線)が新道で、ちょうど2つの道に分岐する地点が三軒茶屋交差点となっています。

交差点の周辺で茶屋を探す私たちですが、一向に見つかりません。それもそのはず、3軒の茶屋はすでになくなり、1店舗は現在も陶器店として営業しているものの、残りの2店舗は完全にその跡を留めていないのです。昭和20年まで営業していた「石橋楼」の跡地は大型のカラオケ店に。時代は移ろい風景は変わっても、東急田園都市線と世田谷線の乗換駅として今も交通の要衝である三軒茶屋。長い歴史が今も受け継がれて、街の賑わいに繋がっているといえるのかもしれません。

かつて茶屋のあった場所

 

商店街へ

駅の北側を歩き回った後、南口の栄通り商店街へ。メインの通りから左右に延びる小さな路地の数々にも店舗が立ち並ぶ面的な商業集積となっているのに加えて住宅も目立ち、三軒茶屋の雑多な側面を見せてくれます。庶民的な盛り場としての機能を持つようになったのは、1907年に玉川電車が開通したころだそう。その後、関東大震災や第二次世界大戦の際に都心から逃れてきた人々が住み着いて街が拡大してきたといい、その過程で「下町」の雰囲気が持ち込まれたと考えられます。困難な状況から逃れてきた人々に、商店街は安心できる日常生活を提供したに違いありません。

すずらん通り商店会

宿場町、盛り場、避難先… 時代に合わせて様々な役割を担ってきたことによって、重層的で唯一無二の雰囲気が形成され、今も多くの人々を惹きつけ続けている三軒茶屋の魅力に改めて気づくまちあるきとなりました。

 

 

こんかいの答え
宿場町から盛り場、そして都心からの避難先へと時代ごとに様々な役割を果たし重層的に積み重なった歴史が独特な雰囲気を作り上げた。

参考URL:http://sancha.jp/history